歴史を学校で教える時
昔の歴史から順に教えるのではなく
最近の出来事から遡ってくれたらもっと面白かったのに..と
学校の授業もまともに聞かなかったクセに文句は言う管理人の瞳です!!(・∀・)
ただね
大人になってから歴史がクソほど面白いww
歴女って訳ではないですが
「何故そうなったのか?」を知るのが楽しい年頃になりました(ノ∀`)
はてさて
今回新紙幣になる事が発表されて
新紙幣に伴い40年ぶりに一万円札の人物が福沢諭吉から渋沢栄一に変わる事も発表されましたよね
新紙幣になるのは今から五年後の2024年と言われていますが、多分結構な人が思うと思うんですよ
渋沢栄一って誰?(´•ω•`)
渋沢栄一を知らない人や、名前は知ってるけど何をしたのかまでは知らない人って多いんですよね
(*´・ω・)(・ω・`*)ネー
だけど渋沢栄一に限らずですが歴史上の人物って
調べてみても元号や数字や難しい単語や言葉が並べられてあるだけで
歴史上の偉人ってすごいんだろうけど何と言うか..
うん
分かりにくいんですよね┐(´д`)┌
私自身が小難しい話って苦手だし
苦手を通り越して嫌いなんですよww
なので私と同じように
小難しい話は抜きで渋沢栄一がどんな人なのかを教えろ!!|ºдº)
と言う方の為に、新紙幣の一万円札になる渋沢栄一についてお話しさせて頂きますね(๑•̀ㅂ•́)و✧
目次
渋沢栄一とは何した人?
渋沢栄一の出生などは今は一旦置いておいて
「渋沢栄一って結局何をした人なのか?|ºдº)」
を先にお話しすると
今の日本の資本主義社会を構築した人
となります(・∀・)
..って漠然とこれだけ言われたって分からないですよねww
渋沢栄一は「資本主義の父」と呼ばれているのですが
何故そう呼ばれるようになったのか?
渋沢栄一がどれだけの偉人で
何があって日本を動かす人物になったのかを
順を追ってお話ししますね
渋沢栄一とはどんな人?出身と経歴
渋沢栄一は今の埼玉県深谷市で江戸時代に生まれました(・∀・)
昔の地名で言うと武蔵国血洗島と言う場所です
血洗島(ちあらいじま)www
江戸時代と言っても江戸時代の最後の方(1840年)なんですが
渋沢栄一が生まれた町には港があって商業が結構盛んな町に生まれたんですが
江戸時代って士農工商って言う身分制度があった事は記憶にあるでしょうか?
江戸時代では武士が一番偉く
武士→農家→職人→商人
と言う身分に分けられていて、生まれた時から身分に差があったんですよね(´•ω•`)
で 渋沢栄一は農家の家の子供だったんですが
渋沢栄一の父親がすごくやり手で
農家の出でありながらも港で商業が盛んな町で商売にも着手していて
渋沢栄一は幼い頃から商売に携わる機会があり
13歳になる頃には商売を任される位の才覚を見せていたんですよ
うん
天才かよwww
農家でありながらも商売もしている渋沢栄一の家は当然お金持ちで
裕福な家庭で育った渋沢栄一は金に物を言わせて学問や剣術なども習っていたので
最早お金のない武士の家の子よりも恵まれて育っていました
そして渋沢栄一は立派に育ったのです
そう
尊皇攘夷と言う立派なテロリストにwww
m9(^Д^)プギャー
渋沢栄一は年貢を納めると言う幕府の制度が幼い頃から気に入らなかったんですよね(・∀・)
「何で自分達が生まれた時から身分が決まっていて
どうして自分達の生活を圧迫してまで年貢を納めなくちゃならないんだ!?(゚д゚)」と
17歳で血気盛んなイケイケだった渋沢栄一は尊王攘夷と言う
反幕府の過激派テロリスト集団「尊王攘夷派」になるのです
余談ですが渋沢栄一は北辰一刀流で武術を習っていたんですが
坂本龍馬も北辰一刀流の免許皆伝の持ち主なんですよね(・∀・)
当時の坂本龍馬は土佐藩でも尊王攘夷運動が多くなってきて
「何か違う」と居心地が悪くなったが為に土佐から出てきたとされています
で この渋沢栄一
尊王攘夷のテロリストになったものの一万円札に選ばれる位なのだから
尊王攘夷運動に参加したものの踏みとどまったのか? と言うと
高崎城を乗っ取った上に横浜焼き討ちwww
m9(^Д^)プギャー
まぁまぁな過激派ですよ、はいw
幕末、尊王攘夷の中でも長州は特に過激派とされていて
当時の都だった京都の町を焼き払った「禁門の変」も長州の仕業なんですね(・∀・)
で、この長州と組んで幕府を倒す事を計画するんですが
渋沢栄一の従兄弟の説得によって長州と組んでの作戦は中止します
が
まさか高崎城を乗っ取った揚げ句に横浜を焼き払うなんて重罪なのに
幕末だからと言って見逃してもらえるなんて訳もある訳がなく
渋沢栄一、実家に勘当されるwww
行く当てがなくなった渋沢栄一は今までの色々なつてを使って徳川慶喜(よしのぶ)に仕える事になったんですけど
これって普通に考えておかしいんですよね
だって今までは幕府に対して不満があったので討幕派である尊王攘夷運動に参加していたのに
徳川慶喜は完全な幕府の人間ですから
(*´・д・)(・д・`*)ネー
だけどこれって渋沢栄一が手のひらを返した訳でもなければ
あっさり幕府側に寝返ったでもなく
渋沢栄一の元々の思想は討幕ではなく
みんなが平等に暮らせる社会を作る事
全ては生まれた時から身分が決まっていると言うふざけた社会を変えたいがためでしたが
この頃には尊王攘夷派に勝ち目がない事は渋沢栄一は悟っていたんですよ(´・ω・`)
だったら幕府側に付いて幕府から変えるしかないと思った故の行動なんですね
うん?
渋沢栄一はめちゃくちゃ賢いんだってばww
(*´・д・)(・д・`*)ネー
そして慶喜が将軍になり、渋沢栄一は晴れて幕臣(幕府の臣下)になった時
渋沢栄一はパリで行われる万国博覧会への視察に行くように慶喜から命じられます
このパリへの視察が渋沢栄一の人生を大きく変えるものとなります
渋沢栄一 パリの万国博覧会へ行く
歴史が苦手でも「ペリー来航」は誰しもが聞いた事があると思うのですが
江戸時代が終わりを迎える大きなきっかけとなったのが、このペリー来航でした
当時の日本は鎖国していて外国との交流を経っていたため、世界情勢なんて全く知り得る事なんてなかったんですよね(´・ω・`)
だから黒船来航と言うのは日本人にとっては衝撃だったし激震が走ったんです
日本人が手漕ぎボートの時代に水蒸気で海を渡ってくる巨大な黒船が突如現れたんですから
(*´・д・)(・д・`*)ネー
そんな日本で暮らしていた渋沢栄一にとって、パリでの万国博覧会の視察は目からウロコの連発だったんですよ
海外で見る風景や工芸品はどれも自分の想像以上のもので
渋沢栄一の元には各国の国王などが自ら営業にやってくる
(実際はカモにされていただけですが)
渋沢栄一の知っている上に立つ人間とは程遠い姿がパリの万国博覧会にはあったんですよ
うん
何せ渋沢栄一は代官に500両をたかられた事があるからww
m9(^Д^)プギャー
いや、もう日本人として恥ずかしいですよねw
今で言えば会社の社長が社員に対してたかりを入れてくるのと大差がないじゃないですか‥(笑)
だけどパリの万国博覧会に行った渋沢栄一が見たのは
会社の社長自らが営業をすると言う、日本とは違う現実
そして渋沢栄一は思うのです
自分の目指している姿がここにはある と
生まれも身分も関係ない
どんな立場の人間でも努力をすれば報われるし
どんな立場の人間でも自らが進んで働く姿
当時の幕末って結局望む事ってみんな同じだったんだなぁ‥と言うのがよく分かるんですが
渋沢栄一は学べるだけ学んで、これを日本に広めようとパリで勉学に励んでいたのですが
急遽日本への帰国命令が出されて、日本に帰らなければならなくなってしまったんですね
急に何故かって?
幕府が無くなったwww
m9(^Д^)プギャー
明治の時代が始まったんですよ
坂本龍馬のあれですね(・∀・)
日本の夜明けぜよ!!
渋沢栄一 大蔵省に入省する
日本に戻った渋沢栄一は後に実力を買われて大隈重信に説得され
大蔵省へと入省する事になりました
当時の日本は外国への負債を抱えていて、外国からお金を借りて返済に充てようと言う
今で言う自転車操業を行おうとしていたんですよ
うん
発想が本気でヤバいww
だけどそんな事をすると借金が返せなくなった時
日本は間違いなく他国に喰われてしまって、日本は事実上他国の植民地にされてしまう!!
と異論を唱えて阻止したのが渋沢栄一でした
渋沢栄一さんなしでは今の日本はなかったかも知れないんですよ
((((;゚Д゚))))
その後も大蔵省で渋沢栄一は大きく国の発展に貢献するんですが
結局予算問題などで大隈重信や大久保利通と揉めて、大蔵省を退官(辞任)する事となります
そして大蔵省を退官してからは第一国立銀行(現在のみずほ銀行)の頭取に就任し
以降は「資産家の父」と呼ばれるに至った実業界に腰を据える事になったのですが
渋沢栄一はここからがえげつない
渋沢栄一の功績
渋沢栄一は銀行を設立する事で当時、価値がなかったお札に価値を持たせ
また、そのお札の価値を安定させる為に数々の銀行を設立させていったんですね
価値がなければ
価値が分からなければ
価値が安定しなければ
お札なんてただの紙切れにしかなりませんから
(*´・д・)(・д・`*)ネー
そして外国への負債を返済すべく、銀行を発展させる事を考えていたのですが
時代は明治初期
江戸時代が終わってまだ間もなくです
銀行ってお金を預かる事で運用しているのではなく
銀行からお金を借りてもらって、その金利で運用しているんですが
ここで大変な問題が起こります
はい
銀行が金を貸す相手がいねぇwww
だって当時の明治には会社なんてないんですもの(ヾノ・∀・`)
つい最近まで士農工商と言う身分の制度があって
自分の将来を自分で決める事が出来ない時代だった訳ですから
(*´・д・)(・д・`*)ネー
だけど借りてもらわなければ銀行は成り立たない
なのに貸す相手(会社)が存在しない
だったらどうしようか?
渋沢栄一は思ったね
渋沢栄一は閃いたね
渋沢栄一はやりやがったね!
うん
借りる相手がいなければ作ればいい
うん
渋沢栄一の発想もかなりぶっ飛んでるww
m9(^Д^)プギャー
そこで渋沢栄一は多種多様な企業を設立させていったんですね
その数は500以上とも言われていて
全てを挙げるのはとてもじゃないけど無理ですし
500社全てなんて誰も興味ないでしょうから
ここはWikipediaから拝借させて頂くと
うん
やっぱり天才かよww
どの企業にしても今の日本経済を支えているような大企業ばかりで
そして今でも名前は変わっていても残っている企業ばかりなんですよね
こうやって見れば渋沢栄一は様々な企業を設立して
すーーーーーーっげぇ儲けているように思えますが
実は会社の頭取としての渋沢栄一宅の収入って10%ほどなんですよ(・∀・)
渋沢栄一はお金を稼ぐ事が目的ではなく
渋沢栄一の思想はでただ一つ
みんなが幸せになれる世の中になればいい
そんなに年貢を納めなきゃならない事が気に入らなかったのかww
ただ渋沢栄一は生まれながらにして身分が決まっていて
生まれた家の身分によって将来も人生も、全てが決まってしまう世の中を変えたかったんですよね
うん
渋沢栄一の家庭の収入の90%は株で儲けていたけれども!!ww
m9(^Д^)プギャー
資本主義の父であると同時に渋沢栄一は資産家でもありますからね♪
日本人最初の投資家だったとも言われています(・∀・)
他にも大学や商工会議所を設立したり
様々な事を成し遂げた偉大なる人物
それが渋沢栄一なのです(๑•̀ㅂ•́)و✧
さいごに
この記事一つで渋沢栄一全てを語る事がそもそも不可能ですので色々端折りはしていますが
大雑把に言えば
- 渋沢栄一は裕福な家に生まれたけれども士農工商の制度が気に入らなかった
- 故に尊皇攘夷と言う過激派テロリスト集団になった
- しかし尊皇攘夷派に勝ち目はないと悟った渋沢栄一は幕府側に付く
- 万国博覧会が行われているパリへの視察を命じられ、パリで目から鱗を落としてくる
- 幕府が無くなり明治になって帰国した渋沢栄一は大蔵省へと入省するも、大久保利通達と喧嘩して辞める
- 銀行の頭取になるがお金を貸す相手がいない事に気が付き、自ら会社を次々と設立させた
と言うような流れですね(・∀・)
他にも細かい功績は色々ありますし
実は新紙幣の写真の候補に挙げられたのは今回だけではないですし
渋沢栄一は日本人初のノーベル賞候補にも挙げられていたんですが
何故か全てにおいて後一歩届かない(´•ω•`)
だからなのか、他の偉人に比べて知名度が低いような気もしますが
幕末と言うよりは明治になってから躍動した人なので、この辺りも関係あるのかもですね
坂本龍馬や西郷隆盛や桂小五郎や勝海舟等と名前を連ねたかも(*´・ω・)(・ω・`*)ネー
あくまでも私の趣味の範疇で知っている話なので
話の前後があったり多少違っている部分もあるかとは思いますが
まぁ大体こんな感じです(((๑´ㅂ`)
渋沢栄一について詳しく知りたい方は関連書籍を記事下部に掲載しておきますね♪
ではでは!!